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無茶ぶりホイホイ #1 ボヤキ編

これからは女性性の時代らしい。みんなでそんな話をしていたら

ふと浮かんできた「そもそも男性性・女性性ってなに?」という疑問。

その疑問について話している中で、またも唐突に飛んできた

「男性性・女性性について書いてみたら?今だから書けるものがあるはず。」

という無茶ぶり。


そんな無茶ぶりにホイホイのって、

さっぱりな素人が自分なりにたどっていくキロクになる予定です。

なんか面白そう~と、軽はずみに答えたものの、

いまの私が「女性性・男性性」について知っているのは、ごくわずか。

それがいわゆる社会的な規範、gender biasのようなものではなくて、

人の性質や資質を語るうえで有用な概念だということ。

男性の女性性、女性の男性性も存在していて、とても大切だということ。

まずこれだけを握りしめ、大型連休中に大掃除をしなが考えはじめてみたものの、

「女性性・男性性」という単語ののっぺりとした感じに阻まれて・・・。


まず気になったのは、言葉のルーツ。

日本の概念なの?英語にすると何?femininityとmasculinityでいいの?

そんなことを考えはじめて気付いたのが、日本語の「性」という漢字の守備範囲の広さ。

gender(社会・文化的な性)とsex(生物学上の性)の区別も、どちらも「性」。

さらに言えば「女性性」の二番目と三番目の「性」は意味がが違いそう。

かなり多くの概念を「性」の一つの漢字で片づけているこの言語で

genderの一歩先をゆくらしいニュアンス・概念を考えていくのは

ちょっとヤヤコシそうだ・・・。というのが素人、第1のボヤキ。

次に浮かんだのが、「判別/ discriminate」と「記述/ describe」という整理の視点。

判別は(そのあとに何か目的があって)区別するもの。

一方、記述はいま・過去の状態を理解・説明するためにするもの。

なんとなく前者が目的変数で、後者が説明変数っぽい感じ。


いわゆるGenderとかSexは前者「判別」のイメージだけれど、

今回のテーマの「女性性・男性性」は、後者「記述」のためのものっぽい。

改めて「そういう大事なところに、同じことばを使わないで欲しい・・・。」

ヤヤコシイ・・・というのが素人、第2のボヤキ。

だからこそ浮上するのがなんでこんなヤヤコシイことになってるの?という好奇心。

概念の存在自体は全く否定しないし、とてもとても興味があるけれど、

それが敢えて「女性性・男性性」と呼ばれ、大切にされているその背景は何?

日本語の問題なのか、歴史的経緯なのか。文化的な何かなのか。


これが素人的な第一の興味。

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