私が、呼吸・整体というものをやり始めてから、約3年半くらい経ちます。
なぜ、この呼吸をやっているのか?ということについて、
問われる機会が最近多いので、ちょっと考えてみました。
まず、私は子供の頃から原因不明の体調不良がとても多かったんです。
10代の頃には、数々出始めていました。
40代で子どもを産んだあと、免疫力がとても下がって、
次から次に病気をもらい、いつも体調不良で、
子どもの世話もおぼつかないみたいな日もありました。
年に一度は入院してる、みたいな感じでした。
もちろん、すごく元気な日もあったし、
みんなもなんかしら不調を抱えながらやってるんだからと思って、
日々をやり過ごしていました。 だけど、やっぱり、体調が悪くなるかもしれないと思うと制約は増えたし、
第一、ほんとうに身体がしんどかったのでした。
それで、もう身体が悲鳴をあげている!と、
身体の声を聴くにはどうしたらいいのか?と思っていたら、
呼吸に出会いました。
それから、呼吸・整体をやり始めて、自分の呼吸がいかに自然にかなっていなかったか、
いかに力んで緊張したまま生きていたのかを実感しました。 そのあと、自分と調和している感覚を呼吸をやりながら取り戻していくと、
あんなに頻繁だった体調不良がガクンと少なくなりました。
健康というのはこんなに楽なのか!と思ったわけです。
次に、感情の扱い方というのがよくわかリませんでした。 私はカウンセラーになったので、そのための専門的な勉強もし、
ワークも実践もしました。
その中で感情についてどう扱うかも学んだし、
心理学の手法も数々試していました。
いつも自分を穏やかにする方法を探していました。
怒りについては、どう扱っていいか途方に暮れていました。
普段抑圧している分、一回爆発すると手がつけられなくて、
ほんとうに周り中に迷惑をかけていたと思います。
怒りの取り扱いについては、それこそ片っ端から学んでみたけど、
なかなか自分のそれをうまく取り扱えるようにはなりませんでした。
感情をジャッジしない、というのがまずすごく難しいし、
ジャッジしている自分に気づき続けていると
こんなにジャッジばかりしてるのか!と気が滅入ってくるというループにハマってしまって。
そんな時、呼吸のワークをしていて、
その感情がどうでもよくなっていく体感を得ました。
その悩んでいる事実、怒りを感じた事象そのものは全く何も変わっていなかったけど、
それにイライラしない自分が出現した、という感じ。 ちょっと他人事に見える、というか。
俯瞰できるというか。 感情が循環する、ということを体感できた瞬間でした。
言葉でどんなにやっても、この体感は体験できませんでした。
感覚を先に持っていないとこの感覚になれば大丈夫、がわからないのです。
これを、誰かに聴いてもらうとか、誰かに治療してもらうとか、ワークショップにいくとか、講座にでるとかしなくても、「自分で呼吸する」だけで体感できる。
これは私にとっては、かなりの画期的なことでした。
その次に、気づきが広がるがあります。 呼吸の95%は、オートマチックに自動操縦で動いています。
意識的に吸ったり吐いたりもできるけど、普段の呼吸はほとんど自動で無意識に行われているものです。
呼吸に意識を向けて、自分が無意識にどんな呼吸をしているか。
そして、それが自分の自然のありのままにかなっているか?
自然にかなっていない呼吸だったら、それを調整していくと何が起きるか?を
観察してるときに得た気づきの肚落ち感が、半端ない!!!!
あの時、あの人に言われたあれは、このことか!!!と自分で気づける。
身体の癖は、意識の癖とほとんどイコールなのです。
そして、それは言葉で表現できないことの方が多い。
この気づき、発見は、非常にパワフルで、とてもとても興味深い。
好奇心が止まらない!
これを続けたら、一体何を発見できるだろう?という自分自身への飽くなき探求。 そして、気づきたい、と思うと気づけない、というのももれなく体験できます。笑
安全を体感するのはとてもとても大事です。
それを自分でととのえるのに、私にとっては呼吸がもっとも手っ取り早いと思っています。
ただし、長年の身体の癖をとるには、ローマは1日にしてならず、だけど。 でも、30年以上の体調不良が、3年でよくなったのだから、
やっぱり近道なのではないだろうか、とも思う。
「なぜ、呼吸やってるか」って、変なタイトルですね。
自分でつけといてなんだけど。
呼吸してない人はいないのだけれどもね。笑
では、今日のところはこの辺で。
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