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  • いな

偏愛をめぐる往復書簡 #2


ずんこさん、こんにちは。メッセージをもらってから少し時間がたってしまいました。

お返事が遅くなってしまってごめんなさい。



メッセージをもらったときにすぐ、最初の数行を読み、そして直観しました。あ、これ

は読んだらすぐお返事を書きたくなるやつだ。それも本当に考えてしっかり書きたくな

る部類のやつだと。なので時間がしっかりとれるまで未開封のままでした。



いいわけです、はい、すみません笑




いつごろ、どんな風に偏愛が気になり始めたのか?ですか。



うーん、偏愛という言葉をはじめに使いだしたのはたぶんここ1年くらいかなぁと思い

ます。




そもそも僕には、自分の中の感覚よりも、ついまわりの評価や勝算みたいなものを優先

させるクセがあって、それはなかなか生きづらい状況を創りだしていたと思います。



これは程度の差はあれ、多くの人が持っている傾向でもあります。






わたしたちは生きている中でたくさんの「やったらいいとされていること」に囲まれて

いますよね。それはごく普通のことですが、それが程度を超えて自分の中で大きくなり

すぎるとなかなか大変です。そんな状態を長く続けるうちに、人はそもそも自分が何で

あるのか、何を好むのかというごくシンプルなことすらうまく語れなくなっていきます




有名なミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる灰色の人たちのように、

どこか機械仕掛けっぽくなって、よろこびや創造性から縁遠い存在になっていく。





それに対して生き生きしている人って、いい意味でも悪い意味でもやっぱりちょっとおかしいなぁと思うんですよね。




まわりの文脈があってもなくても自分の興味や直観を従うことに素直な状態。なので当

然軋轢も生まれるんだけど、そもそも軋轢、なにそれ食えるの?くらいの位置に置いて

いる。だから結果軋轢が生まれるような文脈に存在しなくなる、という感覚です。



ただこの感覚を「好きなモノ」「ワクワクすること」と表現してみるとちょっと違う。

なぜならそれらはすでに既存の文脈から「持つべきいいもの」であり「生産的ななにか

の原動力」みたいなものとして認知されているから。



あ、ちなみにちょっとひねりたくなる、というのは僕自身の偏愛でもあります。期待さ

れると違うことをやりたくなる。まぁ天邪鬼なんですよね。






「役に立ってもたたなくても、人からの合意があろうとなかろうと、関係なく、好きだ

からやっちまいました」みたいなノリ、そんな質感を表す言葉として「偏愛」という言

葉を使い始めました。ちょっとアブノーマルな感じがいいですよね笑







そんなわけで言葉でまとめると


偏愛とは「誰になんと言われようとも、そして何も言われなくとも好きなこと、こだわ

りや情熱」、



そしてもっとキレイな言葉で言えば


「人の評価は関係なく、純粋に現れるその人の、その瞬間なりのエネルギー」



っていうことになるかなと。




それがバーっとでてきたときに現れるのは、破壊と創造の可能性です。




僕からみるとずんこさんは「偏愛エバンジェリスト」そのものに見えます。こんなに偏

愛を面白がり、人に伝える(伝えるだけでなく魅力的に伝え、伝えるだけでなく体感覚

として感じてもらう)ことができる人。




もらった文章中では情報をなるべく出さないようにしているけど、ずんこさんの上司っ

て社長ですよね(あ、いちゃった笑)社長にあんなふうに働きかけられる人ってそんな

にいないですよ。




偏愛エバンジェリストずんこさん。敢えて同じ質問をさせてください。今ずんこさんが

感じている偏愛の可能性はなんですか?




2020年3月6日


いな

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